実は高校野球は「祭り」だったんだよ!(なんだってー!?)
こんにちは。¡Hola amigos!
以前からずっと私は「高校野球が大嫌い」であることを綴っているが、その一番の理由は、
たかが高校生のチームが、まるで地元のプロクラブチームみたいに扱われる
ということだ。
そしてもう一つ、
インターハイ(高校総体)をないがしろにして高校野球のみをスポーツ報道はクローズアップする
ということも。
前回記事を綴ったあと、高校野球に関する論評を漁っていると、こんな記事を見つけた。
『夏の大甲子園祭』 陽気(やうき)の所為(せゐ)で神も気違(きちがひ)になる――夏目漱石『趣味の遺伝』より 玉木正之コラム「スポーツ編」バックナンバー
スポーツライターとして名高い「玉木正之」氏の公式サイトに載っていた記事。
詳しいことはぜひ全文を読んでもらいたいとして…
(前略)そして、そこで、見て、感じたことは、「夏の甲子園」が、比喩や修辞ではなく、紛れもない「祭り」そのものである、という事実だった。
なるほど、実は高校野球は「祭り」だったんだよ!
(ΩΩΩ<な、なんだってー!?)
いやあ、本当に「なるほど」と思ったよ。
- 暑い中、投手が通算何百球も投げ続けること。たとえそれが原因で体が壊れてしまっても…
- プロ野球(というよりも阪神タイガース)に「死のロード」という大きな負担をあたえてまでも「甲子園球場」にこだわり続ける
- 批判や改革への提言は無数に飛び交うがほとんど黙殺*1
- 形骸化した「教育の一環」
などなど…
これらすべてが「祭り」の一言で片づけられるわけですな。
ゆえに地元のNHKは(母校でもないのに)「地元の高校を応援しましょう!!」「頑張れ(各地方)勢」などとのたまい、視聴者に押し付けてくるのである。
地元のチームを応援するのなら「Jリーグ」「Bリーグ」あるいはそれこそ「インターハイ(高校総体)」でもいいはずなのだが…*2
あと、最後にこういうことも綴られているのだが、
多くの他の祭りが、豊作、無病息災、邪気払い……といった本来の目的から離れて、民衆の精神と肉体の解放の場と化しているのと同様、(後略)
この辺はわが国日本の「国民の祝日」もそうだわな。
「国民の祝日」の大半は天皇・皇室の祭事が由来*3だが、たいていはそんな由来など誰も知らないし知ろうともしないだろう。
5月3日の「憲法記念日」もそうで、この日は各所で「これを機に『日本国憲法』についてもっと深く考えよう」という趣旨のイベントも開催されるが、ほとんどは「春の大型連休(ゴールデンウィーク)の後半」程度の認識でしかないだろう。
たいていこれら祝日は「行楽日和」ということで旅行や里帰りetcに励むだろう。
そして高校野球、とりわけ夏の甲子園は「夏休み」「盆休み」の時期の一大イベントとしてうまく入り込んでいる。
一昨年からはこの時期の国民の祝日「山の日」も制定された。
それにしても、「祭り」という視点は本当に目からうろこが落ちた気がした。
(追伸)
あと、「高校野球が大嫌い」な身として鑑賞したい映画がある。
映画『ザ・ビッグハウス』公式サイト|想田和弘監督 観察映画第8弾
「想田和弘」氏の「観察映画*4」の最新作で、「アメリカの大学アメフト」を描いている。
日本の「高校野球」とアメリカの「大学アメフト」って結構似ているところがあるんだよねえ…
- 一大学のイベントにとどまらず、地域総出で盛り上げようとする
- ここでも形骸化している「教育の一環」。もはやプロ選手(NFL)予備校と化している。指導者もプロとして多額の年俸をもらっている
- 多額のカネとヒトが動きまくる
これもまた、「祭り」だからなんでしょうね…
それでは。