私とゲーム・第七回「プレイステーション…新たな天下人の出現」
おはようございます。今日から8月、今年も残すところあと153日となりました。
暑さで少々気分が悪い。
第七回「プレイステーション…新たな天下人の出現」
1990年代中盤、当時私は高校生だった。
学校の授業についていくのが精いっぱいで、部活とか課外活動に打ち込む暇はなかった。
それでもデジタルゲームを止めることはできなかった。まあ、タバコ好きにとってのタバコのようなものかもしれない。
デジタルゲーム市場はいまだ任天堂の天下だったが、その雲行きは大いに怪しくなっていた。
以下、主な要因。
- この頃、スーパーファミコンの一作品当たりの希望小売価格*1が軒並み1万円を超えるようになっていた。
「ドラゴンクエスト6」「ファイナルファンタジー6」、マニアックなところでは「ザ・モノポリーゲーム2」など。
それまでは価格1万円超えはせいぜい光栄(現コーエーテクモゲームス)の歴史シミュレーションゲームシリーズくらいであった。*2 - そんな、1万円超えが相次ぐようになったスーパーファミコンはじめ、ROMカセット方式に限界を感じた各ハードメーカーがCD-ROM方式のハードを続々出すようになった。
セガの「セガサターン」、NECホームエレクトロニクスの「PC-FX」、パナソニック他の「3DO」など。*3 - 当の任天堂も、スーパーファミコンの周辺機器として、かつての「ディスクシステム」をほうふつとさせるCD-ROMシステムを計画していたが*4、結局頓挫したこと。
この時のプロジェクトの名称が、「プレイステーション」であった。
私は、それでも任天堂の天下は揺るがないのではないかと思っていた。
今でいう「任天堂信者」というべき心境にあった。
人気メーカーやシリーズブランドをたくさん抱えており、なにより次世代ハード「ニンテンドー64」の発売を決めている。
そして「ニンテンドー64」にはドラゴンクエストやファイナルファンタジーのシリーズ新作が発売される予定とされている。
まだまだ、任天堂は10年戦える…。
そんな私の考えを粉々に砕いたのが、任天堂とのCD-ROMシステム共同計画が頓挫した後、自らの手でデジタルゲーム市場に新規参入することを決めた「ソニーコンピュータエンタテインメント(SCE)」の新生「プレイステーション」であった。
発売当初は参入メーカーも少なく*5、先述の「セガサターン」などに比べて一歩劣る位置づけだった*6が、ナムコ(現バンダイナムコエンターテインメント)が徹底して肩入れするようになると市場全体がプレイステーションに注目する。
私がプレイステーションに出逢ったのは高校3年のころ、弟がお小遣いを貯めて買ってきて、「一緒に遊ぼうぜ」と言ってきたことである。
そのとき一緒に買ってきたソフトが「鉄拳2」と「バイオハザード」。
前者は3Dポリゴンの人物が殴り合う対戦格闘ゲーム。ボタンの押し方でスムーズに連続攻撃ができるところが面白かった。
後者は「サバイバルホラーアドベンチャーゲーム」の金字塔。
いわゆる「ゼルダ式」であるが、前者と同じく3Dポリゴンで構成されたゾンビなどの敵キャラに、視界と所持アイテムが制限された状況下で切り抜けるシチュエーションには恐怖とともに「新世代のデジタルゲーム」ならではの魅力を感じさせた。
「ああ、今度こそ、任天堂は負けるだろうな」
私はそう思った。
かくして、結果はその通りとなった。
「ドラゴンクエスト」「ファイナルファンタジー」など、人気シリーズブランドの最新作が、軒並みプレイステーションで展開することになったのである。
そしてプレイステーションは10年以上、デジタルゲーム市場の天下人として君臨することになったのである。
なお、私が大学合格の通知をもらったのは弟と「鉄拳2」の対戦プレイをしていた最中だった。